大阪高等裁判所 平成6年(ネ)1989号 判決 1998年3月10日
平成六年(ネ)第一九二〇号事件被控訴人兼平成六年(ネ)第一九八九号事件控訴人(以下「一審原告」という。)
竹下興
右訴訟代理人弁護士
宇賀神直
同
西本徹
同
伊賀興一
同
野仲厚治
同
長岡麻寿惠
同
山﨑国満
同
谷英樹
平成六年(ネ)第一九八九号事件被控訴人(以下「一審被告」という。)
甲野一郎
平成六年(ネ)第一九二〇号事件控訴人兼平成六年(ネ)第一九八九号事件被控訴人(以下「一審被告」という。)
大阪府
右代表者大阪府知事
山田勇
右両名訴訟代理人弁護士
前田利明
一審被告大阪府指定代理人
毛利仁志
外一一名
主文
一 一審被告大阪府の控訴に基づき、原判決中一審被告大阪府敗訴部分を取り消す。
二 右取消部分に係る一審原告の一審被告大阪府に対する請求を棄却する。
三 一審原告の一審被告らに対する本件控訴をいずれも棄却する。
四 一審原告は、一審被告大阪府に対し、九四万五八六六円を返還し、かつ、これに対する平成六年七月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 一審原告と一審被告大阪府との間に生じた第一、二審を通じての訴訟費用及び一審原告と一審被告甲野一郎との間に生じた控訴費用はいずれも一審原告の負担とする。
事実及び理由
第一 申立て
一 一審原告
1 原判決一、二項を次のとおり変更する。
一審被告らは、一審原告に対し、各自一五〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 一審被告大阪府の本件控訴を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じて一審被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 一審被告ら
主文同旨
第二 事案の概要
事案の概要は、次のとおり、原判決を訂正し、当審における仮執行の原状回復及び損害賠償請求の申立理由を付加するほかは、原判決事実及び理由欄「第二 事案の概要」(原判決三枚目表三行目から七枚目裏五行目まで)記載のとおりであるから、ここに引用する。
一 文中「原告」とあるを「一審原告」と、「被告」とあるを「一審被告」と各訂正する。
二 五枚目表一〇行目「被告甲野」から同末行「鑑みて、」までを「一審被告甲野の本件不法行為は、公務としての保護を必要としないほど明白に違法な行為で、かつ、行為時に一審被告甲野自身がその違法性について認識していたものであるのみならず、本件不法行為は、組織的行為ではなく、右一審被告限りで完結する行為であるから、」と訂正する。
三 当審における仮執行の原状回復及び損害賠償請求の申立理由
1 一審原告は、仮執行宣言付原判決に基づく強制執行により、平成六年七月一八日、一審被告大阪府から九四万五八六六円の給付を受けた。
2 よって、一審被告大阪府は、一審原告に対し、その原状回復及び損害賠償として、九四万五八六六円及びこれに対する右給付を受けた日の翌日である平成六年七月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める。
第三 証拠
原審及び当審における証拠関係目録記載のとおりであるから、ここに引用する。
第四 当裁判所の判断
一 証拠(原審における検証の結果、原審及び当審証人古賀、原審証人篠原、原審[第一ないし第三回]及び当審における一審原告本人、原審及び当審における一審被告甲野本人)によれば、一審原告は、本件損傷を負った昭和六二年一〇月七日午後四時三〇分ころ当時、第三調室又は第二調室(一審原告と一審被告らとの間でこのいずれであるかにつき争いがある。いずれも北側はコンクリート壁、東側は有孔パネルになっている点は共通であるが、第三調室は、部屋の北東の隅にコンクリート壁の出っ張りがあるのに対し、第二調室にはこれがないという相違点がある。本件においては、右取調室がいずれであるかは結論を左右しないので、この点については判断しないこととする。なお、一審原告の右後頭部の損傷については後に判示する。)で取調べを受けていたが、右取調室中の中央付近には、北側に接着してスチール製の机が置かれており、これを囲んで、東側に被疑者である一審原告の座る椅子、西側に取調官である篠原巡査部長の座る椅子、南側に同じく取調官である一審被告甲野の座る椅子が置かれていたこと、一審原告の座っていた椅子の中央から北側の壁までの距離は約五〇センチメートルであったことが認められる。
二 まず、争点1について判断する。
1 泉南警察署の嘱託医である古家医師は、昭和六二年一〇月八日、同警察署の係官からの依頼を受けて、一審原告を診察した。その診察の結果は、次のとおりである。
一審原告の右前額部に擦り傷のような小挫創(指頭大以下のもの)があったが、創は既に乾燥しており、瞳孔反射も正常で頭部に異常なく、治療の必要を認めなかった。そして、左腸骨窩に圧痛を認め、急性胃腸炎と診断した(乙一の一、二、原審証人古家)。
2 大阪地方裁判所堺支部裁判官は、その翌日である同月九日午後四時三〇分から、同支部庁舎内において、刑事証拠保全処分として一審原告の身体を検証した。その際、一審原告は、同裁判官に対し、「同月七日午後四時三〇分ころ、泉南警察署取調室において、一審被告甲野から手拳で腹部(へその少し上で、みぞおちの少し下辺り)を四、五回殴られ、その反動でコンクリート壁に頭が当たって負傷した。現在も痛みを感じる部位は、左右前額部、右後頭部及び腹部である。」と指示説明した。右検証の結果は、次のとおりであった。
①腹部の痛みを訴えたのは、腹部ほぼ中央の直径一〇センチメートルの円状の部分である。右部分の皮膚の表面に変化は認められなかった。②右前額部(髪の生え際隅)に、横約1.4センチメートル、縦約二センチメートル、中央部の横の長さ約1.4センチメートルの菱形に近い形の傷が認められ、その横に約一センチメートルの幅で腫れが認められた。③左前額部(髪の生え際隅)において、長さ約三センチメートルくらいの皮膚が剥離して赤くなっており、五百円硬貨よりやや大きい程度のこぶが認められた。④右後頭部について、耳の下の付け根から左へ約五センチメートルの箇所を中心にして、裁判官が指で上から下に触っていくと皮膚面の段差が感じられ、左後頭部の右部位に対応する箇所については、右後頭部と同様に指で上から下に触っても、皮膚面の段差は感じられなかった(甲一、五四)。
なお、明らかな腫れがあれば、表皮剥脱に皮下出血を伴っているものと認められ、また、素人でも腫れの有無を判断することは十分に可能である(原審証人匂坂)。
3 原審鑑定人匂坂馨は、右2の検証調書添付写真及びその拡大写真を中心に検討した結果、次のように判断した。
右②の右前額部の損傷及び③の左額部の損傷は、いずれも表皮剥脱であり、小挫創ではない。一般に、表皮剥脱は、作用面が鋭利ではない鈍体の圧迫(速度によっては打撲)又は擦過によって生じるものである。右前額部の損傷については、表皮剥脱の形状は、左上から長い楕円形で、色調は右縁で濃くかつ境界鮮明であるが、左縁で色調が薄くかつ境界不鮮明であり、表皮の剥脱方向は判読できない。したがって、右色調から、右損傷においては、力が右側で強く、左側で弱く作用したものと考えられ、現場のコンクリート壁(取調室の北側)又は有孔パネル壁(同東側)を成傷器として想定するならば(他の成傷器は考えられない。)、いずれかの壁が一審原告の前額部を右やや前から皮膚に切線的に作用して、初めに作用した右縁に強い皮膚出血を伴う表皮剥脱が生じたと考えられる。左前額部の損傷については、右前額部の損傷のような色調の不一様は確認できず、中央部が濃く周辺部が薄いと見受けられ、平板上の鈍体が皮膚面にほぼ直角に作用して生じたと考えられる。
直立した姿勢で前額部を打ち付けた場合には、当たる部位は、両目瞼上縁、鼻尖部、頬骨体部であり、右前額部及び左前額部の各損傷は、頭部をやや前屈するような姿勢で壁に打ち付ける必要がある。
右④の右後頭部の損傷については、現場の状況では、コンクリート壁又は有孔パネル以外に成傷器を想定できないが、取調室の隅にコンクリート壁の出っ張りがあったとしても、一審原告の頭が横になった状態で壁に打ち付けたというような通常考えられない場合にしか当該部位を損傷することは考えられず、この場合、一審原告は横になった状態で倒れるはずであるし、仮に、右状態で当該部位が損傷された場合、その損傷は、右④のような皮下出血程度にとどまらず表皮剥脱が生じるのではないかと考えられる(原審証人匂坂、原審における鑑定の結果)。
4 以上によれば、一審原告の左右前額部に皮下出血を伴う表皮剥脱が存在したものと認められるが、腹部打撲傷及び右後頭部の損傷の各存在を認定することはできないというべきである。
以下、右認定に反する証拠について検討を加える。
まず、古家医師の診断結果は、右前額部の損傷以外に頭部の異常はなく、右前額部にも腫は認められなかったというのであるが、同医師は、泉南警察署の係官から、腹痛を訴えている留置人がいるので診察して欲しいとの依頼を受けて一審原告を診察したもので、一審原告の右前額部の損傷にはたまたま気付いたに過ぎず、その前額部や頭部にも触っておらず、診察時間も短時間であった(原審証人古家)のであるから、右古家医師の診断結果は採用することができない。また、右古家医師の診断結果を根拠に左右前額部の皮下出血の存在を否定する原審鑑定人匂坂馨の判断(原審における同人の証言、原審における鑑定の結果)も採用することができない。
次に、右後頭部の損傷については、右2の検証調書添付の写真からその存在の有無を確認することができないこと、右3の原審鑑定人匂坂による頭が横になった状態で打ち付けるという成傷原因についての判断、一審原告が横になった状態で倒れていないことは、右現場に居合わせた一審原告、一審被告甲野、篠原巡査部長が一致して供述していること、また、一審原告も、事件の翌日である昭和六二年一〇月八日、山﨑国満弁護士(以下「山﨑弁護士」という。一審原告は、同弁護士を本訴でも訴訟代理人に選任している。)と接見した際に右後頭部の損傷を訴えていないこと(乙八の一、二、四原審証人山﨑)、当該部位は、外後頭結節部と右乳様突起の中間に相当し、誰でもここを触れば突起が感じられる部位であり、右部位の皮下出血の有無の判断は素人では困難であること(原審証人匂坂、原審における鑑定の結果)を考え併せれば、右後頭部の損傷の存在を認定することはできない。
三 そこで、争点2について判断する。
1 一審原告は、原審(第一ないし第三回)及び当審において、細部については食い違いがあるものの、大要、「一審原告は、一審被告甲野に、『眼鏡をはずせ。立て。』と言われたので、眼鏡をはずしてその場に立ち上がり、一審被告甲野にやや向い合い、その際の一審原告と一審被告甲野との距離は約五〇センチメートル離れていたところ、椅子から立って一審原告の方に近づいてきた一審被告甲野に、いきなり腹部のみぞおちの下付近を突き上げるように、また、防御する間もなく、左手拳で四、五回連続して殴られ、その反動で右側の壁に右前額部を打ち付けた。右打ち付けた瞬間、気を失った感じになり、そのまま真っ直ぐに座りこむように床にくずれ落ちた。一審原告は、一審被告甲野に『お前、汚いやっちゃな。』と言われ、髪の毛を掴まれたときに記憶が戻って来た。壁で前額部を打ち付けた回数については、はっきり覚えているのは二回であるが、頭の中で二回ゴンゴンと鳴ったので二回打ち付けたと思う。」との供述(以下「一審原告供述」という。)をしている。
2 そこで、一審原告供述の信用性について検討するに、右供述には、以下のような問題がある。
(一) 一審被告甲野の利き手は右手である(乙二二の一ないし五)のに、利き手でない左手で、約五〇センチメートル離れた位置に向かい合った一審原告に対し、防御する間もなく、四、五回も連続して殴打したというのは不自然である。このような態様で暴行を加える場合には、右手を用いるのが当然であると考えられるし、そもそも利き手でない左手でこのような態様の暴行を加えることが可能かどうかも疑問である。一審原告は、右手を使用すると一審原告の腹部左側等を殴打することになり、一審原告に相当な損傷を与えかねないので、とっさの判断から利き手を使わなかった旨主張するが、右主張を考慮に入れても右不自然さは否めない。
(二) 腹部のみぞおちの下付近を殴打された場合、前屈みになるか、そのままの姿勢で後方に押し出されるかのいずれかになると考えられ(原審証人匂坂、原審における鑑定の結果)、一審原告供述のように、腹部のみぞおちの下付近を殴打された反動によって、右回りに回転して右側の壁に右前額部を打ち付けたというのは不自然である。一審原告は、同人の無意識に逃げる動作も加わっているのであるから別段不自然ではないと主張するが、右主張は、これを考慮に入れても不自然であることは免れない。
(三) 一審原告供述によると、右前額部の損傷の発生は説明できても、左額部の損傷の発生の説明ができないという問題がある。すなわち、仮に、腹部のみぞおちの下付近の殴打による反動で右回りに回転して右側(北側)の壁に右前額部の損傷を受けたとしても、その際のエネルギーは、右前額部の衝突の際にほとんど消費されるので、そのまま右側(北側)の壁への衝突の反動で東側の壁に衝突するということは考え難いし、そのような場合であれば、エネルギーが相当大きいものと考えられ、右前額部の損傷が一審原告に生じた程度にとどまるようなことは考えられない(原審証人匂坂)。一審原告は、同人が意識を失っている間に一審被告甲野が暴行した可能性や他のエネルギーが作用した可能性等が考えられる旨主張するが、これを裏付けるに足りる何らの証拠もない。
(四) 証拠(乙八の二、四、原審証人山﨑)によれば、一審原告が負傷した翌日である昭和六二年一〇月八日、一審原告と接見した山﨑弁護士によって、一審原告が、一審被告甲野から、前額部を二回殴打され、同所に傷害を受け、また、腹部も四回殴打されて、その際に後ろの壁で頭部を打った旨供述したとの一審原告の供述調書(乙八の二)、同弁護士作成の報告書(乙八の四)が作成され、右供述調書は、一審原告に読み聞かせた上で誤りがないことを確認したものであることが認められる。右各書面の内容は、一審原告供述と明らかに相違している(一審原告供述では前額部を殴打されてないのに、右各書面では前額部を殴打された後に腹部を殴打されたことになっている。)。一審原告は、右書面は、同年四月に弁護士登録したばかりの山﨑弁護士が聞き違いをした旨弁解するが、同弁護士は登録後既に半年ばかり経ており、弁護士として、警察官による暴行の態様の聞き取りに当然注意を払ったものと考えられ、現に、同弁護士は、前記二2の検証の際の一審原告の説明が右聞き取った内容と食い違って入るので、ショックを受けた旨供述しており、その聞き取った内容に確信を持っていたことが窺われるので、右弁解を直ちに採用することはできない。
(五) 証拠(乙一〇の三、四、七[甲三]、原審及び当審証人古賀)によれば、右昭和六二年一〇月八日、山﨑弁護士が接見後に警察当局に対し一審原告に対する暴行及び傷害について抗議したため、古賀鐵郎巡査部長(以下「古賀巡査部長」という。)が上司の指示を受けて右負傷の原因等につき一審原告を取り調べたが、その際、一審原告は、一審被告甲野から取り調べを受けている際にかっとなって自ら壁に頭を打ち付けたのであり、右前額部の損傷はその際に生じた旨の供述調書(乙一〇の三)が作成され、右供述調書には一審原告の署名指印があること、その後も古賀巡査部長は、一審原告の取調べを行ったが、同月一三日(乙一〇の四)。同月一五日(乙一〇の七[甲三])に同一内容の供述調書が作成されており、いずれにも一審原告の署名指印があることが認められる。このうち、同月一五日付け供述調書(乙一〇の七)においては、集団暴走行為の参加については否認の内容になっており、また、古賀の一審原告に対する取調べは穏やかであり、一審原告は、連日接見した弁護士に対してもその取調べについての苦情を訴えたことはないのであるから(当審における一審原告本人)、右各供述調書は、信用性が高いということができる。右各供述調書の内容は、一審原告供述と明らかに相違している。一審原告は、古賀巡査部長が一審被告甲野の暴行による国家賠償請求訴訟の提起に備えて、一審原告が供述していない内容を調書化し、その部分については一審原告に読み聞かせてもいない旨主張するが、採用することができない。また、一審原告は、このうち、警察当局が乙第一〇号証の三及び四を一審原告の少年事件において家庭裁判所に送付しなかったことを問題にするが、証拠(当審証人佐藤)によれば、警察当局においては、暴走事件と関係のない記載しか含まれていない供述調書を家庭裁判所に送付しなかったに過ぎないのであって、右自傷行為についての供述のほか暴走事件についての供述も含まれている乙第一〇号証の七は家庭裁判所に送付していることが認められるので、一審原告の主張するように、警察当局においてその信用性につき自信がないので、家庭裁判所には送付せず、ただ、国家賠償請求訴訟の提起に備えて作成保管していたということはできない。
3 そして、一審被告甲野は原審及び当審において、篠原巡査部長は原審証人として、「一審被告甲野において、暴走行為の取調べの過程で、一審原告が同人の体調の悪い母親に心配をかけていることに言及したり、夜の海(大阪府阪南市尾崎町所在の男里川の河口付近)に年少者を放り込んで打ち所が悪くて死んだらどうするのかと大きな声で叱りつけたところ、一審原告が突然興奮して立ち上がり、『俺、知らんわい。』と叫び、北側の壁にその前額部辺りを二度打ち付けた。一審被告甲野が立ち上がって一審原告の腰に手をかけて壁から離そうとしたが、腰に手をかけるとほぼ同時に一審原告は『死んだら、ええんやろ。死んだるがな。』と叫び、右回りをして、東側の壁に前額部辺りを打ち付けた。一審原告がさらに同じ場所に前額部辺りを打ち付けようとしたので、一審被告甲野は、咄嗟に右手掌を広げ、壁と一審原告の前額部との間に、甲の部分が壁に掌の部分が一審原告の頭にそれぞれ当たる形で差し入れた。そのため、一審被告甲野は、右拇指及び右示指を捻挫し、右拇指を骨折した。」と一致して一審原告供述と正反対の供述をしている。右供述(以下「一審被告甲野ら供述」という。)は、前記一審原告の古賀巡査部長に対する供述調書(乙一〇の三、四、七)とも一致しており、前記一審原告の損傷の態様とも矛盾がない。
もっとも、以下の点が問題となるので、この点について検討する。
(一) 一審原告の負傷について
一審被告甲野、篠原巡査部長は、原審において、一審原告が前屈した姿勢をとった旨供述しておらず、原審における検証の際に、一審被告甲野は、一審原告の打ち付けた位置の床からの高さは一審原告が立っていたときの頭部の部分に相当する旨指示説明しているところ、前記二3のとおり、一審原告の右前額部及び左前額部の各損傷は、頭部をやや前屈するような姿勢で壁に打ちつけなければ生じないことが問題となる。しかし、一審被告甲野は、当審において、一審被告が前屈した姿勢で前額部を壁に打ち付けた旨供述しているのであって、一審被告甲野、篠原巡査部長も、原審において、一審原告が直立した姿勢で壁に打ち付けたとは供述しておらず、右検証の際の指示説明も一審原告が直立した姿勢で壁に打ち付けたことを意味しているのではないと解される。したがって、この点は、一審被告甲野ら供述の信用性を否定するものではないというべきである。
また、「俺、知らんわい。」、「死んだら、ええんやろ。死んだるがな。」と叫ぶ興奮した人間であっても、一審原告の前記取調べの際の位置関係(一審原告の座っていた椅子の中央から北側の壁までの距離は約五〇センチメートルであった。)から、前屈みの姿勢をとって前額部の髪の生え際を打ち付ける行動をとるのは不自然ではない。したがって、この点も、一審被告甲野ら供述の信用性を否定するものではないというべきである。
さらに、一審原告は、壁から約六〇センチメートル離れた位置から足を全く動かすことなく、北側の壁に二回前額部を打ち付けることは不可能であるので、一審被告甲野ら供述は信用できない旨主張する。しかし、一審被告甲野、篠原巡査部長は、一審原告が壁から約六〇センチメートル離れた位置から足を全く動かすことなく、北側の壁に二回額部を打ち付けたとは供述していないので(篠原巡査部長は、原審において、いったんその趣旨のような供述はしたこともあったが、壁からの距離も約六〇センチメートルと断言はできないし、一審原告の足の動きは見えなかったので動かしていないと断言することはできない旨供述を訂正している。)、右主張は採用することができない。なお、一審被告甲野、篠原巡査部長は、一審原告の取調中、一審原告に腰紐を付けていたが、一審原告の負傷の際に前記取調室内の机が動かなかった旨供述しているが、このようなことは十分に可能であり(乙一六、一七の各一、二)、この点も、一審被告甲野ら供述の信用性を否定するものではないというべきである。
(二) 一審被告甲野の負傷について
証拠(乙六、七の一、原審証人玉井)によれば、一審被告甲野が昭和六二年一〇月八日、右拇指と示指を頭部と壁の間に挟んだと訴えて玉井丈博医師の診療を受けたこと、その結果、右拇指・右示指捻挫、右拇指D・I・P部剥離骨折を負っていることが判明したことが認められ、この点は、一審被告甲野ら供述と符合している。一審原告は、一審被告甲野ら供述のように、手掌を広げ、前額部と壁との間に差し入れたとの状況では剥離骨折は生じないとか、右状況下で右剥離骨折が生じたとすれば、一審原告の額の部分に一審被告甲野の右拇指の爪の跡が残るはずである旨主張する。確かに、剥離骨折とは、間接が過屈曲を突然強いられて、間接伸側の骨の一部が一部これに付着している靱帯などに牽引されて骨折、剥離することをいう(原審証人匂坂、原審鑑定の結果)が、一審被告甲野が右拇指の第一間接を折り曲げた状態で一審原告の前額部に当ててそのまま壁に打ち付けた(すなわち、突き指した。)とすれば生じる可能性が十分にあり(原審証人匂坂、原審における鑑定の結果)、一審被告甲野は、当審において咄嗟の行為であるので、右拇指は、広げたままであったのか、曲げていたのかわからない旨供述している。また、右状況下で一審原告の額の部分に一審被告甲野の右拇指の爪の跡が残るか否かは、その爪の状態によるものであり、これが残らなくても不自然とはいえない(原審証人匂坂、原審における鑑定の結果)。したがって、一審原告の右主張は採用することができない。
また、一審原告は、右一審被告甲野の負傷は別の機会に生じたとし、その受診が右負傷した当日である同月七日ではなく、同月八日の午後になったことも問題とする。しかし、この程度の負傷であれが、受傷後一昼夜経過してから腫れが出てくることもあるのであって(原審証人玉井)、一審被告甲野は、当日は単に冷やしていたが、痛みが去らず、段々激しくなったので、翌日の午後に受診したに過ぎないので(原審及び当審における一審被告甲野本人)、一審原告の右主張も採用することができない。
なお、一審原告は、実力行使のプロである一審被告甲野においては、右のような一審原告の自傷行為があったとすれば、壁と頭の間に手を入れるような方法ではなく、より効果的な制止方法を採ったはずであるし、篠原巡査部長も制止行為を行ったはずである旨主張する。しかし、咄嗟の行為であるので、一審被告甲野が壁と頭の間に手を入れることしかできず、篠原巡査部長が制止行為に出なかったとしても不自然であるということまではできないので、一審原告の右主張も採用することができない。
(三) 一審原告の自傷行為の動機について
一審原告は、昭和六一年の集団暴走事件で警察の取調べを受けたことがある上、今回暴走事件で初めて逮捕されたこと、そして、このことで体調の悪い母親が心配するのではないかと考えていたこと(乙一〇の三、原審[第一、第三回]における一審原告本人)からすると、一審原告は相当不安な心理状態にあったと推認され、一審被告甲野から自己の暴走行為について厳しく追及され、さらに、男里川の件について大きな声で叱りつけられた際、興奮して一審被告甲野ら供述のような自傷行為に及んだとしても不自然であるということはできない。一審原告は、男里川の件については一審原告がその事実を素直に認めていたし、男里川の河口付近は、水深約一〇センチメートル程度で、一審原告らが年少者を突き落としたとされる堤防の高さは約六〇センチメートルであり、一審原告らの行為によって被害者が水に溺れたり怪我するおそれがある場所ではなく、一審原告もこのことを経験的に知っていたのであるから、男里川の件を追及されたことが自傷行為の動機となったというのは不自然である旨主張する。しかし、男里川の河口付近が水深約一〇センチメートル程度で、一審原告らが年少者を突き落としたとされる堤防の高さが約六〇センチメートルであっても、夜間背後の川に突き落とした場合、情況によっては、被害者が怪我をしたり、打ち所が悪ければ死亡する可能性がないとはいえず、そもそも男里川の件とは、一審原告ら当時四輪車を乗車していた者のことは警察官にばらさないとの口封じを破った者に対する弁明し難い暴行行為のことであり、この男里川の件が追及された機会に右自傷行為に及んだことが不自然とはいえない。
また、一審被告甲野の取調べに同席していた篠原巡査部長は、一審原告が自傷行為に及んだ理由について、「被疑事実を追及されて逮捕されたことに動揺したことと思います。」とか「免許取消しとか、会社就職のことなどが心配になったと思います。」と供述しているが、これは一審原告の自傷行為に及んだ動機を推測したものに過ぎず、これをもって一審被告甲野ら供述と食い違っているとはいえない。
さらに、前記一審原告の古賀巡査部長に対する供述調書(乙一〇の三)では、自傷行為に及んだ原因として男里川の件について言及されていないが、これは一審原告が男里川の件について言及しなかったからに過ぎず、これをもって一審被告甲野ら供述が信用できないということはできない。
なお、一審被告らにおいて主張するように興奮して自傷行為にまで及んだ一審原告が、一審被告甲野になだめられたことで比較的短時間で冷静になったとしても、特段不自然ということはできない。
4 以上によれば、一審原告供述は、一審被告甲野ら供述に対比しても、未だ一審原告の主張事実を認めるに足りないというべきである。
5 次に、甲五五(竹下高子の陳述書)、当審証人竹下高子の証言中には、竹下高子が昭和六二年一〇月一二日、大阪少年鑑別所に一審原告の後見に訪れた際に、古賀巡査部長が連絡もなく来て、一審被告甲野の件で裁判などは提起しないようにと説得した旨の供述部分がある。しかし、右供述部分は、控訴審段階になって初めてされたものであるのみならず、このうち、当審における証言においては、乙第一〇号証の一で認められる一審原告が窃盗や喫煙で補導されたこと、同人の通っていた高等学校の生徒を殴って停学処分を受けたことや昭和六一年の集団暴走事件で停学処分を受けたことがあった事実を知らない旨ことさら虚偽の供述をしたりしており、当審証人古賀の反対供述に照らして採用に至らない。
他に、一審原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。一審原告は、本件集団暴走事件につき、一審原告以外の少年にも一審被告甲野を含む警察官による暴行が行われたと主張し、それに沿うかのような証拠も存在するが、一審原告以外の少年に暴行が加えられたとしても、前示認定判断を左右するものではなく、結局一審原告の主張事実の存否とは直接関係しない。
そうすると、その余の点について判断するまでもなく、一審原告の一審被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。
四 当審における仮執行の原状回復及び損害賠償請求の申立理由1の事実は弁論の全趣旨によってこれを認めることができる。
五 結論
以上の次第で、一審被告大阪府の控訴に基づき、原判決中一審被告大阪府敗訴部分を取り消し、右取消部分に係る一審原告の一審被告大阪府に対する請求を棄却し、一審原告の一審被告らに対する本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、原判決の仮執行の原状回復及び損害賠償請求として、一審被告大阪府に対し、一審原告が九四万五八六六円を返還し、かつ、これに対する平成六年七月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払うことを命じることとし、訴訟費用の負担につき民訴法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官中田耕三 裁判官高橋文仲 裁判官中村也寸志)